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肝臓ラヴリーナ

第一回『VAPE』と言う奇跡

ご無沙汰とかもうどうでも良いくらいっすね。

みなさんご機嫌いかがでしょうか?

そんな事はどーでもいい・・・

俺も無駄に年輪を重ね、酒やら色々と言えない様な事を手前の体に対して悪事を散々働いてきたもんですから、気がついたら各所が当たり前のようにガタつき始めたわけであります。

午後の紅茶(無糖)の様な色をした尿とか、足親指がホワホワするとか、慢性的にダルいとか、体温が上がってんのか知らないが体が無駄に火照ったり、意味不明なイライラが恋心の様に募ったり、体力が落ちると噴射される下血とか、先天的にあった症状の独り言が『演説?』と思われてしまう様になってたりと・・・

で、やばいのが喘息なんですよ。

医者にいつもの吸入薬を貰いに行ったら、

「この薬やり続けてたら死ぬよ」と言われ、

「そりゃいつかは死ぬだろうよ、人間だもの」と思ったが、元来の気の小ささから無論言えず。

「マジっすか?」とだけ言ってぼんやりしていると、

ご丁寧なお医者様はカチカチに凝り固まったネズミ色の牛タンみたいな臓物写真を俺様に見せつけ言い放つ。

「ほら、こーなっちゃうんだよぉ。この薬をねやり続けると繊維が固まってね、60歳辺りで異常に辛くなるよぉ」

「はぁ・・・」と俺。

「前回も言ったけどあなたの血液は酷いからねぇ、血圧も高いし、尿酸値なんてほら痛風の症状がいつ出たっておかしくないんだから」とほくそ笑むお医者様。

「どーしますか?」と既に俺の中では他人事にスイッチしていた。悪い癖だ。

「タバコは?」と聞かれ。

「吸います」

「1日どれ位?」

「調子が良いときは2箱は吸いますね」

「ダメだこりゃ。タバコ止められるの?」

「はい?」

「だから、禁煙出来ますか?」

「昔やってみたんですけどストレスで口内炎が7個も出来て、そんで医者からあんたみたいな人はストレスの方が体に良くないからって言われて吸ったら見事に口内炎が消えたんすよ。それ以来試したことが有りませんし、そもそもそんな事、最早考えたことがないっすね。止めるなんて怖くて考えたこともない」言い放った後、呆れ返った顔でお医者様が、

「止められないなら禁煙外来があるから受けなさい、まずナースに説明を受けてください」と言われ、すげーベテランの皺くちゃナースとベンチシートに横並びに座り、禁煙の栞みたいな冊子を恋人同士の様に見つめ、

「タバコやめる気がありますか?」と皺くちゃが念を押してくるので、

「いやです無理です」とだけ言って医院を後にした。

死んじゃう上等、と思いながらも、

「この薬をやり続けたら死ぬよ」がリフレインしていた。

で、タイミング良く、肺の難病を患った叔母から連絡が来た。

「本当に後々辛いからせめてタバコは止めなさい、肺や気管は本当に大変だから」と息も絶え絶え言われ、さらに恐怖が増幅。

「うウウウウウウウウ〜ん」と思いながらも、打つ手がない俺。

そもそも咥えタバコしながらジョギングしてた俺にタバコをやめるのは無理な話である。

でね、思い返せば一体幾らタバコにお金を貢いできたことか?

13歳辺りから本格的に吸ってきたからまぁ、すごい金額になる。

レクサス1台分以上は確実・・・

金のことを思えば止めれる、と昔言われた事を思い出してみるが、

「金の問題じゃねぇ、生き様の問題だ」と逆に息を巻く始末なので無理だし、俺のチャームポイントである他人のせいにする気持ちがムクムクと隆起してきて、

「環境が悪いから止められるわけがねぇ。そもそもバンドのメンバーは全員タバコ喫みだし、商売は飲み屋だ。お客さんもバンバンタバコを美味そうに喫む。無理して止めて我慢の最中に煙を吐きかけられたら殺意が生まれるし発狂するだろう」

タバコを吸うムービースターに憧れ、咥えタバコにギターを弾くミュージシャンに憧れ、副流煙に片目を滲ませながらお酒を飲む佇まいに酔いしれた若い頃。

「お前はもう若くない。もう十分だろう。さぁタバコと縁を切るんだ」

「無理だ!俺にはタバコと別れるなんて出来ないよ!愛してるんだよタバコの事」

「ストーカーとスモーカーって響きが似てるね。うふふふ」

「茶化すんじゃない!」

「やれやれ、またこの繰り返しかい?もう飽き飽きだよ」

「そんなにタバコが好きならタバコと死ねば良い!」

「おお、上等だよ、そんな事言うならこんな家出て行ってやるよ!」

「勝手にしろ!」

俺の中の性質の悪い『心の中家族劇場』の幕が久々に上がった。


続く・・・




# by craphead | 2017-08-19 01:02

命は誰の為にあるのか・・・

また死んだっすよ。友人が。

もう本当に涙も出ないっすよ。

もうねぇ、死んでく友人親族多すぎで、いちいち泣いてたらキリがないんだよ。

死んだら終わりなんですよ。

残されたこっちは大変ですよ。

命は誰のためにあるのか?とか

知らねぇよ、もう面倒臭い。

死んだら終わりなんですよ。

葬儀場の向かい側はウェディングプランナーの専門学校があるんだよ。

未来しかない若者が果てしない夢に向かって滅多やたらに笑顔で闊歩してんすよ。

先は地獄しかねぇのに・・・


で、

仏さんが搬入される玄関で兄弟分がビールを30缶も持ち込んで来るもんだから、飲んでタバコ吸って馬鹿話してゲラゲラ笑ってたら、葬儀場の若者に怒られるし、

「ビール飲みなよ」って知り合いに手渡そうとしたら、

「いや、いらない」って言うから、

「なんだと、殺すぞこの野郎」って、そもそも葬儀場で繰り広げられる会話じゃないし・・・

隣で骨になって出てきた他所のお骨を間違えて拾いに行こうとするバカも居たし、

「ねぇ骨食べたことある?」って真顔で聞いてくるバカが居て、

「人骨はねぇけど、豚骨みたいなもんだろ?」って返すバカが居て、

「違ぇよ、鳥だべ?手羽先みてぇなもんだろ?いや、やげん軟骨かな?」ってまた別のバカが骨グルメ番長気取るし、

「やげんって何?」と、どうでもいい事を聞いてくるから

「知らねーよ殺すぞこの野郎」って言ったら

「いい加減にしなさい」って女衆に強めに怒られた。

で、骨壷に収められた友人を前に、オカマの若いのが、

「ヤダァ、かわいい〜」って言った時、もうねぇ、かなり複雑な心境でしたよ。

いい奴も嫌な奴も必ずいつか死ぬんだよなぁ。

残された時間があとどれ位あるのか分かんねぇけど、我慢するために生まれてきたわけじゃねぇから、他人様に迷惑かけながらも、死ぬまで生きるしかない。

「ああ、俺は幸せだ」と思った事って多分それなりにあったんだろうが、多分死ぬ時になったら思い出せるのかな・・・

満足は俺をダメにする。


訳:大事な友人が先日亡くなりました。若い頃からお世話になった先輩です。最後まで素敵な方でした。
  無くなる数週間前に会えて本当に良かった。
  今までありがとうございました。ゆっくり休んでください。
  ご冥福を心からお祈り致します。















# by craphead | 2017-05-11 23:43

今年は

1月に函館にてライブが開始して、

2月に中国四川省に料理の勉強しに行って帰国したら大事な仲間が死んで、

3月はふわふわしてて、

4月に香川県にうどん食いに行って

5月に死にそうな位の二日酔いに襲われて

6月に小五まで育ててくれた祖母ちゃんが死んで

7月に事故に遭うという・・・

良い事と悪い事と秤にかけりゃ、良い事なんてこれっぽっちもない様な気が・・・

酒の量も極端に減って、自分を見つめなければいけないシラフな時間に覆われて、

「一体なんのために?」と自問自答。

一気に加速する絶望感と喪失感の中、一縷の望みみたいなものが見えている様ないない様な。

相も変わらず手前の馬鹿さ加減に祖母ちゃん情けなくて草葉の陰で泣いているだろうか?

貰った事故で俺はバイクと共に地面をペッティングしながら、見下ろす加害者に、

「大丈夫ですか?」と言ってみては、

「お前がな!」と加害者の目が戸惑いながらも笑っていたのを俺は見逃さない。

前に通ったクソみたいなヤブ医者医院に懲りずに通い、あまりの痛さに女々しくも訴えるが、

「安静にして痛み止めを飲んでね〜」と言われるだけ。

「お前みたいな医者がいるから」と殴りたくなるが、元来の気の小ささの為に、

「ありがとうございます」と感謝する始末。

そして整骨院に駆け込んで見ると、天使の様に優しい整体師がウヨウヨ居て、

「こんなに酷いのによく一週間も我慢出来ましたね」と言われ涙が零れそうになるが堪えて、

「不器用ですから」と格好つけようとするが、元来の性分から、

「ええ!マジっすかぁ?」と照れてみせるお調子者。

現在も体は割れそうに痛い、やばいのが右の肘でベースを弾くのが非常に困難な状態。

「あれ?肘の腱の様子がおかしいので明日医者でレントゲン撮って貰った方が良いですよ」とズバリ言われる。

大リーグボール3号を投げた訳でもないのに、再起不能なのかと勝手に思い込んでニヤニヤしている。

さあ、今年の後半戦は如何なものか?

結局正月のおみくじは全く持って当たっていない。

ざまぁみやがれ!

PS みなさまくれぐれも交通事故にはお気をつけください。








# by craphead | 2016-07-12 23:07

生憎

死ねばわかるさ

ありがとう






# by craphead | 2016-03-26 01:01

無念

「ぶち」のドラム 平 賢之助が永眠した。

46年という短い人生だった。

彼等と初めて会ったのは5年位前だったか、横浜7th avenueだった。

ZieNAはリハが終わるとさっさと街に繰り出して一杯飲るのが習慣で、その日も美味いホルモンを肴にグイグイ酒を飲り、ライブの3分前に楽屋に戻ると、やたらと背の高い男と、上半身裸の刺青男が楽屋に居た。

チラっと一瞥をくれて、

「あ、帰って来た」と賢之助がニヤリと薄笑いを浮かべて言ったのを今でも覚えている。

多分何か感に触ったのか、珍しくオレ達は帰らずに「ぶち」の出番を楽屋にて聞いていたのだが、

「あいつら、やばいぜ」とKAZZが言って直ぐ様、客席に出張って行き「ぶち」を目の当たりにした。

理屈じゃない音がそこら中に響いていて、聞いた事も無いキテレツな歌詞に度肝を抜かれた。

耳にする世間のクソみたいな歌詞にうんざりしていた俺は「ぶち」の歌詞を聞いて、

「とんでもねぇ奴らが居たんだ」と呆然と聞いていた。

それから対バンの時は必ず「ぶち」のステージを観戦し、見る度、曲を知る度、虜になった。

ZieNAのライブの時も気がついたら「ぶち」のメンバーが必ず見てくれていた。

しかし、お互いに人見知りが酷く、ちゃんと口を聞くのに3年近くかかった。

「ぶち」のギター石井崇が酔っ払ってKAZZと2人で飲んだらしく、どうやら彼等もZieNAの音を高く評価していてくれていた事を知る。

ZieNAの友人に不幸があり、追悼ライブの時にひょっこりと石井君がZieNAを見に来てくれて、そして新宿のワイルドサイドTOKYOに一緒に出ようと誘ってくれた。

新宿ワイルドサイドは楽屋が大きくて、そこで賢之助と会うが、いつものように一瞥くれるだけで殆ど会話はしなかった。

ライブが終わり皆んなで打ち上げてる時もZieNAとは会話してなかった。

オーストラリアでライブしないか?と石井君から言われたが実現せずにいた時、ZieNAはその頃、毎年北海道にツアーに行っていたので、

「北海道一緒に行く?」と誘ったらそれが恒例となった。

人見知りの狂犬みたいな賢之助と初めてのツアーの時、飛行機で俺は隣の席に座った。

ギクシャクしていた人見知りが嘘のようにあっという間に打ち解けて最高に楽しいツアーになった。

「ぶち」のサポートでベースを何度か弾いた時も、スタジオで缶のウーロンハイを飲りながら楽しそうにドラムを叩く賢之助を見て、面白い男だなぁと思った。

人を寄せ付けず、しかし相手を一旦認めたら最高の笑顔で接してくれる男。

以前、サポートでライブを演った時ベースを足に落として骨折した時も、病院まで連れて行ってくれて一通り治療が終わった後飲み屋に入り、

「お前は本当に馬鹿だな、本当に馬鹿だな、いや、本当に馬鹿だな」と笑いながら酒を酌み交わした事が昨日のように思い出される。

もっとドラムを叩きたかっただろうし、好きな女ともっとずっと一緒に居たかっただろう。

好きなタバコと酒と美味い肴に馬鹿話をもっと一緒にしたかった。

不器用で繊細で類い稀な才能を持つクリエーターだった。

映画「男はつらいよ」の車 寅次郎みたいな人柄だったな。

お疲れ賢ちゃん、まだ俺たちはこの世で音を出し続けるよ。

「ねじ曲がんなよ!」ありがたい賢ちゃんの言葉を刻んで。

ご冥福を心から祈ります。















# by craphead | 2016-02-08 23:59